議員としての半生を一言集約にて!前編(第一号)
多くの方からニュースレターにご登録いただき心から感謝申し上げます。
最初の記事では自己紹介として、平成15年の荒川区議初当選から令和6年までの22年間を、その各年で一番お伝えしたいことを一言集約にて書きます。
と思い、書いていたらとても長くなったので、今回は前編をお送りします!
今後、折に触れて、それぞれの詳細や現在に繋がる話も書いていこうと考えています。どうぞ、これからも末永く宜しくお願い致します。
前・荒川区議の小坂英二(日本保守党)が現場や議会で出会い、国護りの為に広げるべきと考えた話をお届けします。
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平成15年
荒川区議会議員に初当選。以後、地域からの熱いお支えで6期連続当選。
当初、非自民無所属系6人会派(西川太一郎代議士(=後の区長)の秘書経験者5人+天野公義代議士の秘書経験者1人)の一員として議員活動を開始しました。
国家観も歴史観も確たるものが無い「皆様の意見を聞きながら、社会を良くするため頑張ります!」という、全国に数多いる新人議員の一人でした。
荒川区担当の議員秘書を5年間務めた中で広がったご縁を基盤に、更に期待からの支持が広がり最初の戦いで当選させていただいたことに感謝あるのみです。
平成16年
靖国神社の遊就館を訪れて丸1日、資料や御遺書をつぶさに拝読しました。この機会を契機に、先人が命を捧げて守ろうとされたものは何だったのか?それを今に生きる我々は理解し引き継ぐための役割を果たしているのか?という視点で学びを深め、今の小坂英二に至る国家観、歴史観の礎を築くことになりました。
大東亜戦争を戦って下さった方々を初め、様々な戦いで祖国の為に命を捧げられた英霊に感謝を捧げ、お誓いを致しました。多くの同志と会うことができ、とても心強い想いでした。…
平成17年
東京都の特別区23区全てで支給している外国人学校保護者補助金(大部分が朝鮮学校向け)は反社会的であり拉致問題解決の妨げにすらなり有害であり廃止すべきとの小坂の問題提起が大きな反響を呼びました。
朝鮮学校の校長から「 このような記事は保護者や学校関係者、その知り合いの日本人も含めて大問題になる。私は多くの議員や首長とも付き合いは長く学校や保護者補助金のことは理解してもらっている。このままでは新人議員である小坂議員の政治生命が危なくなりますよ。このままでは済みませんよ。」と1時間に渡り脅迫してきました。
それ以来20年間に渡り、区議会のあらゆる会議で廃絶を主張し、議会の内外でも問題提起の輪を広げてきました。
同じ危機感を持つ国民が広げて下さるありがたさを実感。そしてブルーリボンバッジを着用している議員が多数いる自民党がこの問題に対して口をつぐみ続けている惨状も見続けてきました。
連立与党の宗教政党に首根っこを掴まれている自民党の政治屋にはこうした問題を是正する役割を果たせないと確信を持つに至った20年間でもありました。
また、この年は「一人の問題提起から共感を広げて行けば実現できる」ことを確信した年でもありました。
3重の補助金のうち先ず1つを廃絶し、その後、今に至る20年間で260億円の節減につなげることができた「互助会・互助組合・共済組合のお手盛り補助」。政治家として愚直に提起を続けていれば、必ず同志と共に更に広げていくことができ、あるべき姿にしていけるとの確信を持つに至りました。
書くと長くなる案件なので、詳細は下記ポストを是非お読み下さい。
平成18年
当初6人であった荒川区議会の所属会派(尚志会)が都議選出馬、自民党からの議長職を餌にした引き抜きを経て4人に減少し、この少人数では議会内の役職等が獲得できないからという理由で、所属会派を解散し自民党へ合流する話が出るも、小坂は猛反対しました。
他の3人の先輩ベテラン議員は自民党に入るための手筈を整える中、小坂は相変わらずネット(HPとブログ)での問題提起を拡大していました。
それに対して「小坂については、ネットでごちゃごちゃ書くのを止めたら自民党に入れてやっても良いよ。」との話を自民党議員がしていると先輩議員から聞きました。
「そんな言論封殺する政党(会派)になど、頼まれても入りません。」と宣言し、一人会派(尚志会)の幹事長と相成り、一層の問題提起の拡大を進めました。
21年近く前に区議に初当選した際に6人の無所属系の会派に所属していました。…
平成19年
議員のみに限った特権「無料人間ドック」、議長室・副議長室応接セットに425万円、高額旅費の議長オーストリア派遣の異常性を指摘し、無駄遣いの1200万円を削除する予算修正案も提出しました。多くのテレビメディアにおいても提起が広がりそれぞれ見直しや廃止に繋がりました。
平成20年
早朝から深夜まで毎日、数年来、無責任なエサやりを猫、鳩、スズメなどを対象に数十か所で繰り返す輩に対して有効な手を打てない行政に対して繰り返し提起をしてきた「良好な生活環境の確保に関する条例」を議会で可決しました。
多くの雑誌やテレビメディアを巻き込み、明確な規制の必要性を広く提起して共感が広がった結果と自負しています。
平成21年
議員定数削減や議長・副議長の非常識な高額報酬(23区特別区のみの奇習)を複数年度に渡り提起を続けました。自民党と公明党の過半数で旨味を分け合い、国民そっちのけで役職の途中辞任にて職責を軽いものにしてしまう惨状は今も変わっていません。
特にこの年は酷い怒号の中の質疑となりました。
こうした点が是正できない自民党は大きな国難にまともに立ち向かえないであろうことは言うまでも有りません。
たらいまわしは東京23区特別区の議会は顕著です。そしてその悪習の中心をなしているのが自民党です。…
平成22年
現職・元職の地方議員・首長が主体の日本創新党結党に参加。後に組織委員長、政策福委員長を務め、パチンコの違法化を政策に盛り込みました。
平成23年
参議院選挙で当選者を出すことが出来なかった日本創新党が解党、多くは維新に参加する方向になるものの、小坂は解党に最後まで反対し続けました。解党後は荒川区議会での一人会派名にもしていた「日本創新党」を受け継ぎ続けることに。
令和5年9月の日本保守党の結党・党名決定の瞬間まで、「日本創新党」で掲げていた理念・政策副委員長として作り上げた政策を「完全無所属」の立場で提起を続けていきました。
また、パチンコの違法化と大幅課税を求める議員と国民の会を代表世話人として立ち上げ、政官業メディアの絶望的な癒着によって「不幸を量産する」違法ギャンブルが日本全国に密集している現状を打破すべく提起を拡大していきました。
設立総会の以下の動画2つ目で、最後に激励演説をしてくれているのは、梅原克彦元仙台市長(現 日本保守党特別顧問)です。
平成24年
尖閣諸島の魚釣島(沖縄県石垣市)に泳いで上陸。その4日前にチャイナの工作員が魚釣島に上陸し、野田政権が罰することも無く丁寧に帰国させたことに強い怒りを感じての日本人としての行動でした。
荒川区議会議員の防災服を着用し、公の人間が上陸して「ここは日本の領土である」と内外にあきらかにしました。それを堂々と行う者がいなければならないと強く感じての行動でした。
現在、尖閣諸島を含む沖縄県全体が侵略の危機に加速度的に瀕している状態です。沖縄県を守れない日本はどの地域もまともに守れません。
大切なものは、戦ってでも守る覚悟を政治家、官僚、そして国民一人一人が固めねばならないとあらゆる場で呼びかけ続けます。
写真は尖閣(魚釣島)上陸を果たしての石垣島に戻った際に港で受けたインタビューが報道された際のものです。…
続きは次回にご期待下さい。お読み下さりありがとうございました。
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